「自由律句のひろば」を提案します
戦後六十数年、俳句は師弟制度を確立して、学校での教育も定型律こそが俳句と徹底して参りました。その為、社会から自由律は消滅した(坪内捻典)ように思われ、俳句の基礎も知らない、といわれ続けてまいりました。事実、私は種田山頭火のふるさと防府で三十年間、山頭火の顕彰活動をしてきましたが、いまだに山頭火の生き方に夢を託す人はいても、山頭火の句を俳句と認める人はほとんどいません。つまり自由律俳句の歴史も、その文学性も理解したくないのです。それが教育の歴史でもあります。私は、読者としても自由律が大好きです。生きる力となってきました。だから自由律が社会的に弱くなっていくことが許しがたく思っています。
しかし、時代は生き物です。少しずつ動き始めています。私は平成十八年、「国民文化祭やまぐち」の中で自由律俳句の応援誌として「群妙」を立ち上げることを宣言しました。平成十九年六月、「自由律俳句クラブ群妙」を立ち上げました。結社は作りません、自由律を多くの人々に理解していただく運動体を立ち上げたのです。最近になり、時代の要望が強くなって参りました。定型律は限界がやってきたのです。伝統俳句、現代俳句と手を変え品を変えてきましたが、所詮、十七文字+季語の制約があります。「文学する」か「趣味する」か問われています。一方、自由律にこれに対応できる体力もありません。結社は沢山ありますが、定型俳句の規模に比べて取るに足りません。
そこで、この現実を理解していただける結社や団体、そして個人で「志」を持って“自由律そのもの”の立場を支える「自由律のひろば」を提案するものです。時代の要望に対応できる体力としての「ひろば」です。「ひろば」で「自由律の立場」を皆さんで模索します。その「ひろば」の「趣意書」を皆さんで考えて欲しいと呼びかけています。
「自由律そのもの」「自由律の立場」「自由律の体力」「自由律の姿勢」「自由律の体質」それは「ひろば」の中で、話し合えばいいのです。そういった「ひろば」の運動が理解されていけば、いよいよ全国の結社は社会の中に正当な立場を獲得していくことになります。
作家が居る、読者が居る、これが正常な文学です。短詩型文学は、現代では作者ばかりで、読者はその仲間だけになってきました。結社の危機を感じる人はいても、自由律界の危機を実感する人の少ないことを嘆くものです。そろそろ、自由律が正常な位置に立つ作業が必要です。新しい歴史を刻んでみようではありませんか。「自由律句のひろば」を提案する原点です。そのことだけは理解していただきたいものです。
つぶやき (群妙6号より)
趣味はあるほうがいい。男性も女性も、生涯の後半をどう生きるか。どう自分と向きあって行くかを考えて来たはずだ。日本には、幸いにしてお稽古ごとなるものが、伝統的にあり、それによって生きがいを得ているわけで、この素晴らしい文化は国民として誇りであろう。
趣味は俗化すると思ったほうがいい。これを以て生業とすれば妥協を覚悟しなければならない。レベルを下げ、「広く浅く」などと言うことになる。その勢いで「趣味」は広がり、一部の俗人によって増幅を繰り返して太ってきた。それで満足なら何の苦言もない。しかし、短詩型を文学と呼ぶとすれば話は別である。そもそも日本文化は俗化を嫌い、これを「道」として来た。精神を重んじ高めるためである。
『道は前にある。まっすぐに行こう。これは私の信念である。この語句を裏打ちするだけの力量を私は具有していないけれど、この語句が暗示する意義は今でも間違っていないと信じている。
句作の道ー道としての句作についても同様の事がいえると思う。句材は随時随所にある。それをいかに把握するか、言葉をかえていえば、自然をどれだけ会得するか、そこに彼の人格が現れ彼の境涯が成り立つ、彼の句格が定まり彼の句品で出て来るのである。・・・・中略
所詮、句を磨くことは人を磨くことであり、人の輝きは句の輝きとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はない。道は前にある。まっすぐに行こう、まっすぐに行こう。』 昭和八年二月二十八日 山頭火「三八九」より
こうなってくると趣味だなんて言ってはおられない。山頭火がこのことを書いてから七十六年も経過している。人間は科学的な進歩は追求して来たが、こんな話もある。
「抱瓶」(瓶を抱く)「荘子」天地
井戸を掘り、苦労して瓶で水を汲み上げる老人に、子貢が「はねつるべ」を教えたところ、「仕掛けを用いれば人間の心に邪心が生じる」と答えたという逸話である。
人間の日常は日進月歩で、めざましいものがあり、驚くばかりだ。便利で助かったことも沢山あるし、便利すぎて失っものも沢山ある。ほどほどが出来ない愚かさを痛感するばかりである。
ここで「道」を持ち出したり「抱瓶」の逸話を語りながら、世情を取り繕うつもりは更々ない。ここに挿入したものは、そうあるべき事例ではなく、そうした「志」を持って時代を駆けた先人の紹介にすぎない。生きる力となる「志」を持っておくほうがいいと思うのである。文学、とりわけ短詩型文学の現状を把握しなければならない。本来、自由律は志が生みだした運命的な文学だと思う。志なくして新しい短詩型文学が生まれるはずもない。また、その必然性もない。現在、現代俳句も自由律俳句も時代に即した口語になっている。これもまた志のなせることである。
短詩型の文学、つまり短歌、俳句、川柳が人間に必要か、何故必要かを考えてみよう。人間は弱いものである。しかも、心という舵を取り難いものを持っている。そして生涯持ち続けなくてはならない。この心の闇を、心の驚きを取り出すことを表現という、その作業によって、心を開放する。しかし、誰にでも小説のように物語として表現することは困難である。そこに、短詩型の文学が用意してある。用意されなくてはならない。
結社の活動は長い歴史を積み重ね、それぞれに役割を果たしてきた。「群妙」の果たすべき役割は、その大いなる果実を新しい文学として大多数の認知を得るための運動体、更に一歩進んで、新しい短詩型文学の広場の構築にある。これがなければ、自由律は停滞し、やがてパズルのような言語遊戯となり「人間の魂」が置き去りになると危惧している。だからといって、ここに正しい道があるわけではない。文学は人間の悩む姿であり、模索の為にある訳で、「群妙」は皆さんと共に悩み続け、模索しつづける運動体でもある。
人間が直面している言葉、人間が生きる力となる言葉を胸の中から取り出してみよう。それは小さな文学、小さな志かもしれない。その小さな力で生き抜いてみようではないか。大きなことや、損得は幸せ者にまかせておけばよい。
つぶやき (群妙5号より)
最近のことであるが、私は小学生同士の会話を聞いてみて、思いもよらぬ言葉に捕らわれてしまった。何と、低学年の子が高学年の子に「あんたは古い」と言ったのである。低学年であるから。別に深い哲学的な考察から言った言葉ではないだろう。しかし、その言葉は暫し私を放さなかった。
考えてみると、買い物はネット利用、乗り物はカードという風に、時の流れは凄まじい速さで私たちの身の周りを変えている。私など、正直なところ、この変化に対応しづらいと思うことが多い。
更に気付くのは、「古い」という言葉を言った子も受けた子にも、それなりの理由、また、思考と感覚の底辺があるだろうということで「ある。小さい年齢の差で、新旧の感覚に違いを生じるとは理解できぬにしろ、育っている場が異なる以上、ひとりひとりの見える目が異なるのは当然であろう。
先ほど世の姿の変化に困惑していることに触れたが、経済の乱れにも根はあるのかもしれない。人間が生存して、人間らしく生きようとするとき、その最低限の願望を壊す事柄が次から次へと出てくるのはどうしたことだろう。その中で、私たちは何かの部分で弱者になり、所謂○○難民ということになる。その疎外感、閉塞感と戦わなくては、一歩も前に進めないのが、大多数の人の現実感覚ではないだろうか。そして、その日々を重ねる中で、私は隣人が欲しいと思う。今ほど、人間が解り合える隣人を必要と感じる時代はないのではないかと思う。
人と人とを結ぶもの、人と人との架け橋となってくれるものといえば、言語と行為であろう。中でも言語は、人間の深い部分に響く力を持っている。うわべだけの綺麗ごとの言葉は耳をかすめるだけで、人を結ぶ力などないが、読み聞きするとき、その展開してくれる世界に、陶然とするものもある。自身の当面することに関わってくれば、その力は量り知れない力を持つ。短詩型文学と呼ばれる世界は、その辺りに根ざしているのではなかろうか。
われわれの生きる現在の世相を考えると、千人の人間に千の生きる感覚がある。千の喜怒哀楽がある。そして、それは直接何らかの行為で結びつく場合もあるし、沈潜する思いから言葉に昇華するものもある。言語活動も人間の営みであるから、行為という概念に一括してもいいように思われるが、思考を経た昇華という人間だけの知的行為として、分けて考えることとする。思いやりから発した優しい行為も、人と人との架け橋になるが、それを発する行為は、同心円的にはとらえられないにしても動物たちにも存在する。決定的なのは、言葉である。
私たちが自由律に拠る「郡妙」を立ち上げた思いを理解してもらおうと前置きが長くなったが、私たちは「新しい酒」つまり、今を生きる生活感情・意識を入れるには、新しい皮袋を用意した方がより迫真の思いが表現できる、と先人たちの開いた道を歩もうとしているのである。
定型律を否定するものでもないし、それに精進される多くの方々の歩みを消そうとするものでもない。良いものは良い。日本人として、誰が芭蕉の遺産を否定できようか。
明治、大正の時代には、諸外国からいろんな文学思潮が流れ込んだ。先人たちは、その洗礼を受けながら自由律を創始したのである。昭和、平成と生きている私たちは、先人の遺した偉業をきちんと継承しているだろうか。まだまだ私たちの努力は足りない。自分の中でうごめき出口を求めている自由律の扉を開き、短詩型文学に新しい歴史を刻む時が来ている。
つぶやき (群妙4号より)
陶芸家・河井寛次郎は
新しい自分が見たいのだ――仕事する
と「自解」の中でつぶやいている。
―どんなにつまらない仕事を強いられて居たとしても、次々により新しい自分を見ようとして引きづられて居るのだ。これ以外に人を動かす動力があるだろうか。――
自分の存在、生きる哲学をこのように吐露する寛次郎の言葉に私達は共感する。芭蕉もまた「奥の細道」の旅は「自分自身をみつめるため」としている。ひたむきに自分の生活や自己の心と向き合えば、そこに新しい宇宙への道が開けてくる。たやすいことではないが、人間はこうして現実をもう一歩確かめながら前進しなければ、むなしい明日を迎えることになるかもしれないのだ。
短詩型文学、とりわけ定型俳句人口はその数において、他の文学を圧倒している。それは、季語や伝統的な感懐と型としての作品に安定感を感じるからだろう。「作る」ことの達成感があるのだ。では、自由律が選んだ道は何だろうか。一度立止まり、短詩型文学としての未来像と一人の人間として自己を深める作業が必要かもしれない。自由律がどんなに多くの可能性にみちているか。たとえば
かげもめだか 沼尻陽三郎
この短律の句が読者の想像を喚起する力は、一冊の本に相当するかもしれない。無駄な言葉は削ぎ落として、逆に読者の想像力を喚起することも自由律ならではであろう。また、
どうしようもないわたしが歩いてゐる 種田山頭火
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
この句の感性や人生観、驚異性は人間の持つ限りない不条理を文学として言葉の力により、見事に定着しているといえよう。
このように自由律は体感や生活観・生活哲学が礎となっている。作るのではなく、生まれるのである。短詩型文学は言葉で表現し、言葉を選び、体感・現実を短い文学に昇華しているのである。
大切なものは目に見えない。このことは知っておくべきだろう。自由律は生活に密着して志を高く、そして懐を広くする必要があろう。
「群妙」はこのような問題を自らの開拓すべき課題として、会員が共有し、自由律の振興をうながす運動体でありたい。
つぶやき (群妙3号より)
17世紀から20世紀に渉る俳諧への道程は、現在も不滅の光を発している。私たちはそれをわが国の固有の精神文化として学び、伝承してきた。そして、そ歴史の中で、多くの改革があったことも学んだ。自由律俳句が主張された歴史は長いが、俳句という短詩型文学も、その時代に即したものとして、表現者の主体的な生活意識の要求から改革を迫られることになったのだと考える。
それまで俳句が門戸を開かなかった近代の文学観=自然主義文学などを、井泉水や一碧楼が、新しい俳句文学として確立することに汗を流した。山頭火や放哉の作品にも、西欧の文芸思潮の影響として象徴主義的手法が見られることもよく知られている。
定められた型や季語に寄りかかると、自己の確立が出来にくいと自由律を生み出した。したがって自由律は自己の世界を勝ち取らなければならない。俳句は常に時代に即して新しい精神を持って革新してきた訳で、伝統的定型を改革する気運の誕生は必然的な変遷といえよう。
哲学といえば難しく聞こえるが、生きるために選択している思考・生存への意識というべきものから世界を見るということは、個の心を通して行われる作業である。言葉を先行させて世界を見るのではなく、魂がつぶやくことから始めないで、どうして人の心に己の思いを伝えることが出来るだろうか。そこには自分の言葉が誕生してくる必然があり、自分のリズムが生まれ、つまりは自由律が必然的に醸成されてくる。
自由律も短詩的の範疇であるといいながら、表現する主体からは、個性的リズムが生まれるのが自然であろう。そして、そこにおいてこそ自由律俳句は、初めて文学として確立することになるだろう。自由律俳句は今後も時代思潮の洗礼を受けて、まだまだ変容すると思うが、私はこの世界の明るい未来像を確信するものである。
つぶやき (群妙2号より)
「群妙」は「期待と不安」を載せたまま港を出た。このことは見事に的中した。共鳴の祝辞と激しい非難も幸いにして沢山いただいた。非難、中傷も多く戴く方が嬉しい。楽な船出なんかあってたまるものか、それでは志が鈍ってしまう。「意は志なり」とあり、心に在るを志となし、言に発するを詩と為す、と「字統」にある。
心とは何だろう。心という文字は殷代の甲骨文字にすでにある。形を持たない心を象形文字化したのである。とすると人間は心を持って生まれて来たのであろう。そして、最後まで持ち歩くのも心である。人間の最も大切なもの、最も傷つきやすいもの、最も愛しいもの、そして最も厄介なもの、それこそが己の心である。心は生存の証であり、文学のテーマである。
自由律俳句は、この心から出発する。心の姿こそが自由律俳句の姿である。少なくとも型から出発することはない。芭蕉は門下に句の心構えとして「平生即ち辞世なり」(常に辞世を詠んでいるつもり)といっている。山頭火は「句を味わうこと、句を作ること、私にあっては人生を味わうこと、生活を味わうこと、生活を深めることだ」「俳句は態度の文学といわれる。動かしがたい至言である。だから道として俳句というものが成り立つ」と日記に書いている。
見目誠(けんもくまこと)氏は文学には数々の形式があるが、「俳句は弱者の最後の剣」といっている。趣味や道楽でないことは自明である。
「一句一貌 一句一心」 一句から顔かたちが見え、一句から心の姿が見えてくる。そこには個性の問題が浮上する。また時代に即応する必要もあろう。このあたりが難しい。個性も時代性も、これに寄りかかっていると孤児になる例は俳句に限らない。絶対性、永遠性に釣り糸を垂れておくことも忘れてはならない。この止揚こそが叡智である。定型律にしろ、自由律にしろ、叡智が文学を文学として構築する。
厳格な形式や季語を持たない未熟なものという説のあることも知っている。形式や季語がむしろそれを媒介にすることで表現を可能にすることも一つの見解である。事実、それによって名句というものが私達の記憶にある。
それでもなお、井泉水は子規の「俳句革新」を更に展開して自由律俳句に到達した。それが人間の叡智であり、感性を縮めようとするのではなく、広げよう、高めようとする懐の広さである。道を求める者の魂の「つぶやき」である。道を求める者は叡智、品位、勇気さえもさりげなく身に備えているものと思う。心配するにあたらない。
自由律俳句は「新しい自分に出会う」ために用意されている。
自由律俳句人よ、もう一歩前に出よう。
はじめに (群妙 創刊号より)
人間の魂の「つぶやき」を何故、定まった型や季語に寄りかからなければ表現できないのだろうか。魂のつぶやきは型を選ばない。子規が元気で長寿だったら、自由律俳句をやっていたに違いない。子規は、俗化した俳諧を大改革した革新派です。正当に引き継いだのは碧梧桐であり、その門下の荻原井泉水や中塚一碧楼です。井泉水は「層雲」を舞台にして、新しい俳論を展開、一時は自由律俳句時代が確かに存在し、種田山頭火や尾崎放哉を世に送り出しました。
戦後、当時唯一の俳句総合誌であった「俳句」によって自由律俳句は意図的に表舞台から消されてしまいました。この現実を自由律俳句関係者は知っているはずです。小さな輪の仲良し子良しも趣味としては楽しいかも知れません。しかし、それだけでは先人が身を削って切り開いた「新しい文学」を言葉遊びとして弄んでいるにすぎないのです。それをそれなりにしてきた自由律俳人達の諦観もなしとはいえません。最近のある俳句誌の対談の中で「自由律は井泉水、山頭火、放哉らが出てきて、俳句の流れの中で、現在でも問題を投げかけている。しかし、運動体としてはほとんど消滅してしまいました。一方でものづごい俳句ブームですよね。有季定型が花盛りです。その絶頂期に自由律は消滅してしまっているわけです。」という発言があり、これは一方において現実の把握が語られている。全国的新聞の文芸欄に自由律俳句の投句蘭はない。文芸雑誌にもない。随って一般社会では自由律俳句は知る機会が限られてしまう。しかし、自由律俳句の結社は全国に沢山あり、生き生きと活躍していらっしゃる。
自由律俳句は、志を高くして、先人の志を継承し、絶えず脱皮を繰り返し、新鮮で人々の琴線にふれる句をつぶやき続ける責任があります。生活感から生命感・存在感さらに大きな広がりを表現できるのが自由律俳句でしょう。自由律俳句という名の定型になることを恐れなければなりません。山頭火の生誕地である防府市にも、山口県にもきちんとした自由律俳句を提唱する句誌は見あたりません。
そこで、昨年国民文化祭史上初めての自由律俳句全国大会が開催されるのを機に、その広報活動の一貫として自由律俳句の講演や説明会、またFMの番組を四十回続け、平成十七年五月から、防府市立図書館において自由律俳句講座を開講、現在に至っています。
平成十八年度からは毎月の防府市広報の市民文芸欄に「自由律俳句」が誕生しました。幼児から投句できます。本気になれば実現できることは沢山あります。
そして、図書館講座の十八年度終了を記念し、自由律俳句をもっと元気にして表舞台に起立できる礎となるよう、へたな理屈を並べるよりも自由律俳句そのものを提示、様々な思いや情感や思考、哲学まで含めて、自由な投稿により、活発で前向きな議論を展開して行くための舞台「群妙」を立ち上げることになりました。
この「群妙」をひもとき、驚かれる方が多いでしょう。実に様々な結社の代表者から一線でご活躍の皆様、そして文化を担っていらっしゃる方々が喜んで参加してくださいました。自由律俳句に携わっておられる方々は「信じる力」を持っておられます。財源に苦労しましたが、これもまた、文化力を信じてくださった方々からの協賛金に頼りました。言葉では尽くせませんが、皆様方の格別の御配慮に厚く御礼申しあげます。
創刊号で前例のない「模索」の上梓です。礼を失していることが沢山あることでしょう。どしどしご叱咤いただき、次号に生かして参りたいと思います。
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